天啓色絵詩文皿

¥180,000

在庫あり

産地中国
時代明時代天啓期
寸法径約21.2cm 高さ4.5cm
状態無傷(虫食いのみ)
次第桐箱
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説明

中国明時代末に景徳鎮窯にて焼成されたとても優れた天啓色絵七寸皿です。図柄は不老長寿の吉祥である桃が美しく大胆に描かれており、上空には祥雲、地面からは霊芝が生えており、吉祥に溢れた非常に美しく堂々たる構図になっています。

器面の色鮮やかさ、力強く破綻のない構図デザイン、筆運びに魅了されます。加えて裏面には伸びやかに赤い花をつけた草花が描かれており、裏返した時の素晴らしいアクセントになっています。

詩文は、唐時代の詩人である劉禹錫:772年(大暦七年)~842年(會昌二年)による漢詩で、

”百畝庭中半是苔 桃花淨盡菜花開”

(広い庭の半ばほどは苔で覆われている。桃の花木はすっかり無くなって、今は野の草花が雑多に生い茂っている)と書かれています。

本来はその後に”種桃道士今何歸 前度劉郞今又來”(桃の木を植えた道士はどこへ行ったのだろうか。先の劉郎が再び戻ってきたが、彼はもういない)と続きます。

大意としては、「美しかった時代、風景、優れた人物は時代とともに消えてゆき、自分一人、過去の幻想に取り残されている」という月日の移ろいと、それに伴う世の中の変化を悲しみ、美しい時代を懐古した内容になっていると考えられます。

※本漢詩の本来の主題は権力闘争の儚さを憂う内容だという説が有力だとご指摘を受けました。ただ、後半部分が権力闘争に言及しているので、前半部分のみだとまた解釈が180度違いますし、明時代の解釈はまた異なり、あえて前半部分だけを抜き出し、優美な意味合いを持たせたとも考えられます。劉郎とは浦島太郎みたいな人物の名称であり、ここでは時代遅れの官僚、或いは作者の劉氏自身を揶揄しており、彼らが時代遅れなのか、否、それとも私が時代遅れの人間なのだろうか。と悲嘆しているとも考えられます。様々な解釈ができる懐の深い漢詩です。

切なく、悲しく、余韻が深い美しい漢詩です。この皿には、在りし頃の桃源郷が描かれています。この皿には、永遠に、華やかで優美で美しかった時代の景色が焼き付けられています。

状態も良く、口縁に虫食い、窯傷を緑釉で押さえた部分がありますが、それは焼成時のオリジナルなので、直しでも傷でもありません。華やかで美しい余韻を湛えた、白眉の逸品だと思います。